日高逸子はグレートマザー!賞金女王が可愛い!夫(旦那)との出会いや生い立ちが凄い!

女子競艇選手のレジェンドといえばこの人しかいないでしょう!宮崎県出身、福岡支部所属の
日高逸子選手、その戦績や、プライベートにおいても他には類を見ない独特な競技生活や

夫(旦那)との出会いや、二人の娘とのことなど、そしてなんとも驚きは彼女の現在までの
レースにおける生涯獲得賞金がなんと10億円を超えてなおも現役で活躍している日高逸子選手

その凄まじいまでの勝負に生きる美人ボートレーサーの活躍ぶりを少ない誌面では有りますが
女子競艇界のレジェンド日高逸子選手の生い立ち、旦那との出会い、二人に娘との関わりや

子供を育てながらボートレーサーとしてトップを走り続けたその軌跡に迫って見ようと
思います。

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日高逸子のプロフィール

  • 本 名:日高逸子(ひだか いつこ)
  • 生年月日:1961年10月7日
  • 出身地:宮崎県
  • 身 長:155cm
  • 体 重:47kg
  • 血液型:A型
  • 支 部:福岡
  • 登録期  56期
  • 登録番号 3188
  • 級別   A1級

1985年5月、芦屋競艇場でデビュー。
1989年3月7日、多摩川競艇場で行われた第2回JAL女子王座決定戦競走で優勝しました。
決まり手は恵まれ。

1996年8月8日、新潟県出身の井上邦博と結婚。邦博さんは井上を日高に改姓。
しかし、邦博さんは引き続き新潟に単身赴任の形で別居しながらの結婚生活でした。

1997年3月7日、長女を出産、これを機に夫の邦博は会社を辞め新潟から
福岡に移り逸子さんと同居が始まって邦博さんは主夫を務める事に成りました。

その後、日高逸子選手は産後3ヶ月で復帰してレースに臨んでいます。
なんとも凄い話ですね。

日高逸子の戦績!

女子競艇界のレジェンド、グレートマザー日高逸子選手の輝かしい戦績
ご覧頂きましょう。

日高逸子選手のSG/G1/G2獲得タイトルと通算した優勝回数を調べましたね。

通算優勝回数は73回(2018年10月14日現在、女子王座決定戦及び賞金女王
決定戦競走での優勝含む)

G1優勝は
女子王座決定戦競走(2005年・大村競艇場)
賞金女王決定戦競走(2014年・住之江競艇場)ですね

続いては、SG競走記録
SG出場回数:41回(2020年10月5日現在・女子歴代1位)
同一SG出場:20回(笹川賞・女子歴代1位)

同一SG連続出場:17年連続(2003年~2019年・笹川賞・女子歴代1位)
SG準優出:4回(女子歴代1位タイ)

その他タイトルとしては
JAL女子王座決定戦競走(1989年・多摩川競艇場)が有りました。

表彰:優秀女子選手

こうしてタイトルを見て見ると日高逸子選手の凄さが分かりますね!

日高逸子ボートレーサーの歴史

宮崎県都城市生まれ。両親の離婚後、同県串間市で祖父母に育てられた日高逸子選手は
高校を卒業後、信用金庫に就職したが1年で退職します。

その後東京へ行き、製菓学校や旅行専門学校に通ったり、旅行会社や喫茶店で働いたり
していたのですね。

未だ何かしっかりとした目標もなかった日高逸子さんが、たまたま競艇選手募集のテレビ
CMを
目にして受験しました。

難関の入所試験を合格して、本栖研修所での訓練を経て、1985年5月、芦屋競艇場で
デビューしました。

1989年3月7日、多摩川競艇場で行われた第2回JAL女子王座決定戦競走で優勝しました。
決まり手は恵まれ。

そして、日高逸子選手は破竹の勢いで、2002年10月5日、唐津競艇場で通算1000勝達成。
2005年3月6日、大村競艇場で行われたGI第18回JAL女子王座決定戦競走においては

優勝戦で、4コースからのまくりを決めて鮮やかな優勝を勝ち取りました。
2006年8月、桐生競艇場で行われたSG第52回モーターボート記念競走に、芦屋競艇場の

推薦により出場、同競走の歴史において女子選手が施行者場以外の各競艇場から推薦
されるのは初めてであった。それほど日高選手は格段だったんですね~

2006年9月27日、大村競艇場の周年記念競走・優勝戦においてフライング、罰則
(6ヶ月間のGI競走への斡旋停止・当時の罰則)により2007年の九州地区選手権競走、
JAL女子王座決定戦競走などのGI競走に出場出来なくなってしまいました。

2006年12月、住之江競艇場で行われたSG賞金王シリーズ戦に初出場。
2008年10月3日、下関競艇場で行われたジュエルセブンカップ(オール女子戦)
第12レースで通算1,500勝を達成。

2010年4月18日、競艇名人戦競走に資格(48歳以上)取得1年目で初出場、ドリーム戦にも
出走して、優勝戦に進出(6着)でした。

2010年10月26日、福岡チャンピオンカップで優勝戦に進出しました。2012年に2回行われ
た女子王座決定戦競走において、2回とも優勝戦に進出(第25回は5着、第26回は2着)でした。

また大村で開催された第1回賞金女王決定戦でも、優勝戦に進出、この時は6着でした。
2013年4月21日、琵琶湖競艇場で開催された第14回名人戦競走において、3年ぶりに
優出を果たし、優勝戦は惜しくも2着でした。

2014年12月31日、住之江競艇場で行われた第3回クイーンズクライマックスにおいて、
優勝戦に1号艇で出場し、1コースからコンマ01のスタートを決め優勝しました。
決まり手は鮮やかなターンで逃げの1着でした。

2014年の、日高逸子選手が獲得した賞金は4096万円で全競艇選手の中では40位、
女子競艇選手の中では1位でした。

2015年7月9日、ボートレース浜名湖の一般タイトル戦・初日第8レースを勝利し、
女子としては山川美由紀選手に次いで二人目となる通算2,000勝を達成しました。

まだまだ現役を続けて最年長ボートレーサーとしての活躍を目標として戦っている日高逸子
選手は2020年には獲得賞金10億円を超えて当然ですが生涯獲得賞金は第一位、そして
さらに現在も上昇中です。

日高逸子の生い立ちが気になる!

日高逸子さんは、中学教師の父と保育士の母、2歳上の兄。宮崎県都城市で生まれ、
幸せな日々を送っていましたが、4歳で父がオートバイ事故に。

その後遺症に苦しんだ父は酒浸りで暴れるようになった。そして暴力に耐えかねた母は、
日高さんが小学1年生のとき、兄妹の前から姿を消しました。

それ以降は同県串間市の農家の祖父母のもとで育ち、兄とともに新聞配達を続けました。
中2で祖父を亡くし、奨学金で進んだ高校を卒業して地元の信用金庫に勤めるが、

単調な仕事に嫌気が差して1年で退職。その後東京へ行き、製菓学校や旅行
専門学校に通ったり、旅行会社や喫茶店で働いたりしていたところ、

そこで競艇選手募集のテレビCMを目にして受験し、難関の試験を突破して本栖研修所での
訓練を経て、1985年に芦屋競艇場でデビューしました。

女子競艇選手史上2人目の2000勝達成、賞金ランキングも常時10位以内、クイーンズ
クライマックス出場は計7回など、強いだけでなく美人選手としてあまりに有名な選手ですね。

数々の伝説とともに現役最強女子選手の一角として特筆すべき正にグレートマザー日高逸子
選手ですね。

日高逸子選手の著書「私は、迷わない。―46歳・現役トップレーサー・母そして妻」では
多くの女性があこがれるすべてのことをやってのけるスーパーウーマンの半生が綴られています。

もうすぐ、59歳の誕生日を迎えようとしている日高逸子選手の強く、素晴らしい生き方から、
勇気や元気がもらえて人生の指標とも出来る本に成っています。

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日高逸子グレートマザーは賞金女王!

グレートマザー日高逸子選手は2020年時点で生涯獲得賞金は10億円を超えています。
なんとも凄いと言わざるを得ないのですが、日高逸子選手はここで決して満足はして
いません。

日高逸子選手の後には、山川美由紀選手が2020年現在、通算1着回数:2515回、通算
優勝回数:80回
。生涯獲得賞金がなんと10億円なんですね。

日高逸子選手の生涯獲得賞金も10億円を超えています。現在は山川選手よりも1歩
リードしていますが、まだまだ油断は出来ないと言った日高逸子選手です。

2020年の現在の賞金女王は第1位が、平山智加選手で36,419,666円です。
日高逸子選手は14位で21,640,000円ですが、これからのクイーンズクライマックス

までがどんな戦いがあるのか目が離せない感じですね!

日高逸子の夫と子供について!

日高逸子さんと夫の井上邦博さんとの出会いは、日高さんが高校を卒業して地元の
信用金庫に勤めたのですが、毎日が単調な仕事に嫌気が差して1年で退職し、
上京しました。

当初はケーキ職人を目指すも、ツアーコンダクターへの憧れから旅行専門学校に
入学をします。ここで同級生として出会ったのが、後に結婚することになる
井上邦博さんでした。

ある対談のコーナーで夫の邦博さん曰く「僕は単純に好きになっただけだったんですが
『将来はこの人と結婚するかもしれない』と思い込んで、入学2カ月後ぐらいに付き
合ってくださいと全身全霊で告白しました」そうです。

けれどその時の日高逸子さんの返事は「えー井上君とはそんなこと考えたことないし、
気持ちもないわ。私たち学生なんだからそんなことより勉強頑張りましょう」という
なんともつれない返事でしたが・・。

それでも邦博さんは諦めきれず、クラスメートに励まされながらその後も5回にわたって
告白を繰り返しましたが、アルバイトと勉強に忙しい日高さんには相手にされず、卒業
となってしまいました。

二人は別々の旅行会社に就職します。しかし、日高さんが就職した会社では、
デスクワークや電話対応に追われ、添乗員の仕事ができる見通しが立ちません。
結局はその会社を退職し、レストランに再就職の内定をもらった矢先のこと、

ふとつけたテレビのCMに目を奪われました。「ボートに乗って年収1千万円」
こんなナレーションが流れました。

年収1千万円は心動かされるキャッチコピーでした。これまでお金で苦労を
感じていた日高逸子さんでしたから、案内の通りに履歴書を送り、
養成所を受験しました。

当時の年齢制限は23歳で、22歳になっていた彼女はギリギリでしたが、
868人の受験生のうち合格した26人に選ばれたのですね。
約40倍の難関を突破したのですから凄いですね!

旅行専門学校卒業から違う道を歩みだした2人が結婚したのは、1996年のことでした。
日高逸子選手はトップ選手としての地位を確立し、井上邦博さんも転職した

イベント会社でバリバリ働いていました。卒業後も仲の良い友人として電話や
手紙で連絡を取り合っていたが、お互い何度か恋愛も経験し、そのたびに恋人が

できた報告や、別れた愚痴などを言い合うような不思議な関係でした。
日高逸子選手は一生独身を通し、選手を続けよう。そんな風に思いかけていた

1995年のレースの合間、仕事で福岡に来て久しぶりに会った邦博さん
ポロッと言った一言。「結婚しようか」

「そうね。井上君がマネジャーになってくれたらいいかもね」選手も辞めない、
ファンに親しまれた日高の姓も捨てたくない、本拠地の福岡も離れたくない。

日高さんの希望を邦博さんは全て受け入れ、平成8年8月8日、末広がりの日を
選んでめでたく婚姻届を提出しました。

出会ってから結婚まで14年の時間が過ぎていました。

日高さんは翌97年3月、長女を出産しますが、2カ月半後にはもうレースに復帰しました。
発車ベルギリギリまで授乳して新幹線に飛び乗った後は、「主夫」の邦博さんの出番です。

競艇選手はレース開催前日の検査からレース終了までの概ね1週間、食事も含めて施設内
に缶詰め状態にされ、携帯電話もパソコンも持ち込めません。

ですからこの間、留守宅では邦博さんが、冷凍保存してある搾乳した母乳を湯煎で戻して
3時間おきに長女に授乳し、オムツを替え、一切の子育てを担当しました。

もちろん離乳食も健診も、公園デビューも「主夫」邦博さんがこなしました。
その後、1999年7月5日、次女を出産、ここでも産後3ヶ月でレースに復帰する
日高逸子選手でした。

その子供たちも、長女は千葉県内の大学の薬学部で4年生に進級し、次女はこの春、
神奈川県内の大学の獣医学部に進見ました。

日高さんが憧れながら、学費などを考慮して諦めざるを得なかった進路だったという。
あるテレビ番組でのインタビューでは「何でもできる母を尊敬しています」と答えて

くれている娘さん達を見たときは、ビックリしましたという。いつも私に文句ばかり
言ってくるのにね。

どうやらこの母娘の間はとても素晴らしい信頼と愛情が溢れているようですね。

日高逸子が可愛い!

日高逸子選手の可愛い画像像を探して見ました!!

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まとめ

工事中

 

最後まで読んで頂き有り難うございます。

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